大阪高等裁判所 昭和27年(ナ)2号 判決 1953年1月20日
原告 世耕弘一
訴訟代理人 清水嘉市 外三名
被告 辻原弘市
訴訟代理人 浪江源治 外二名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は「昭和二十七年十月一日行われた和歌山県第二選挙区の衆議院議員選挙において被告を当選人とした和歌山県選挙管理委員会の決定は無効である。被告に代る当選人は原告である。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文と同旨の判決を求めた。
原告の請求原因として述べたところの要旨は次のとおりである。
(一)原告は昭和二十七年十月一日行われた和歌山県第二選挙区における衆議院議員選挙に立候補し、被告、早川崇、楠山義太郎、町田義友、田淵光一、玉井義一、寺本正男、山上為男、角猪之助、雑賀伊一郎の十名も立候補したところ、開票の結果、その得票数は早川崇三四、一五八票、楠山義太郎三〇、二九七票、被告二七、四一〇票、原告二七、三二七票として、和歌山県選挙管理委員会は同月四日早川崇、楠山義太郎、被告の三名を当選人、原告を次点と決定し、即日その旨の告示をした。
(二)しかしながら被告の得票中次のように記載せられたもの
(い) 辻原弘一 二五一五票
(ろ) 辻原引一 九八票(辻原弘一の誤記と認める)
(は) 辻原こいち 三票
(に) 辻原コイチ 二票
(ほ) 辻原コー一
ツジハラコー一 九票
(へ) 辻原こ一 六票
(と) つじはらこ一 一票
(ち) ツヂハラコウ一 一六票
以上二六五〇票は(三)以下で詳しく述べる理由により無効とすべきものであるから、被告の得票数からこれを減じ、
一面無効と判定せられた投票中次のように記載せられたもの
(A) 世珠引一 一票
(B) せこう、こう一 一票
(C) せここう一 一票
以上三票は原告の得票とすべきものであるから、これを原告の得票に加算すると被告の得票は二四、七六〇票、原告の得票は二七、三三〇票となり、被告の当選は無効となるのである。
(三)右(い)乃至(ち)の投票はいずれも被告「辻原弘市」の氏と原告「世耕弘一」の名を混記したものであるから、公職選挙法第六八条第一項第三号にいわゆる一投票中に二人以上の候補者の氏名を記載したものにあたるか、或いは被告の氏と原告の氏の名の記載があつて、はたして被告を記載したか、原告を記載したか明らかでなく、同条項第七号にいわゆる候補者の何人を記載したかを確認し難いものにあたり、いずれにしても無効のものといわなければならない。
(四)元来人が文字によつて意思表示をする場合、文字、音のいずれを主とするかを考えてみるに、通常口話は音によつて表示されるのであるが、文字によつても表示されるようになるに伴い、文字は口話に固定性を与え、表意の法則は文に準拠することが一般となつた。そのような過程を経て現代では文は言葉の従でなく、むしろ言葉の主と化している。故に文字によつて表意する場合、音と文字のいずれを主とするかは表意者自身の選択に委ねられたものでなく、原則としては文字を主としなければならない。たゞ文字を知る程度の低い者にはいわゆる「当て字」といわれる文字の誤用をすることが多いので、自然音によらなければならないことがあるに過ぎない。被告は「辻原弘一」の記載は音を主とすれば「つじはらひろいち」であり、被告の氏名に合致すると主張するけれども、氏名は固有名詞としてそれぞれ独特の称呼があるから、これを文字によつて表示した場合表示されたものが特定されるかどうかは文字を主として解しなければならない。従つて「辻原弘一」の記載は被告を表示するものと認める余地はない。
(五)投票において被選挙人の氏名が正確に記載せられることは法の要請であるが、候補者中に類似の氏名がない限り多少不正確に記載せられていても、又は氏のみ或いは名のみ記載せられていても、何人に投票したものかの判断が可能な限り有効とすべきことは明らかである。しかし選挙人が何人を投票する意思であるかは、投票の記載に従つて判断せられなければならないし、又投票に記載せられた「氏」と「名」とは同格に扱わるべきもので、そのいずれを重しとすることはできないから、投票に記載せられた氏が被告の氏に、又記載せられた名が原告の名に一致する以上、これを被告の氏と原告の名を混記したものとして無効と解すべきは当然であつて、名は被告の名を誤記したものに過ぎず、被告の有効投票であると解することの許されないことは、公職選挙法の単記制及び秘密投票制の根本精神からみて疑を容れない。選挙人が投票を記載するにあたつて氏を誤記することはないが、名を誤記することはあると一般的に断定することはできない。従つて投票に記載せられた氏と同じ氏の候補者に投票する意思があつたものと推断すべきでない。
選挙人が投票に明確に「弘一」と記載して「弘一」という名の候補者を指示する意思を明白に表示しているのにかかわらずこれを「弘市」の誤記であつて、「弘市」を指示するものと解するのは、選挙人の意思を無視するものであつて、選挙の自由公正を害すること甚しいものといわなければならない。
もし被告の名「弘市」を「こういち」と音読するものとすれば、候補者に田淵光一という者があつて、その名「光一」を音読すればやはり「こういち」であるから、投票に単に「こういち」と仮名で記載してあれば、その音に通ずる「弘一」「弘市」「光一」を包含し、原告、被告、田淵候補のいずれを指すものか不明であるが「こういち」の上にそれぞれ原告、被告、田淵候補の氏の記載があれば、それぞれの有効投票と解しなければならない。しかし、たとえ「弘市」と「弘一」とは音を同じくするにせよ、音を仮名で記載しないで明確に「辻原弘一」と記載する以上、その投票を「辻原弘市」の投票と認むべきでないことは、投票の認定は文字によつて自から通ずる認識でこれをなすべく、耳から来る認識でなすべきでないという原則によつて明らかである。
現に「町田義一」という記載のある投票を無効と判定しているが、これは候補者「町田義友」の氏名と三字まで合致するにかかわらず、候補者「玉井義一」の名と一致するため両候補者の混記と認めたものであつて、原告の右主張の正しいことを裏書きするものである。
(六)古来わが国において大多数を占める庶民階級は原則として氏の称呼が許されず、名のみが用いられたため、都市から離れた農漁村においては、現在なお右の歴史的な慣行制度の影響を受けて日常氏を呼ばず名のみ通用していることが多い。
又明治以前におけるわが国の階級的な慣行として、名の末尾に「一」を用いるのは武士乃至官位を有する盲人等に限られ、名の末尾に「市」を用いるのは盲目のあん摩、はり、きゆう師であつた。このような昔の慣行が史実として伝えられているため、現代人の頭にも名における「一」と「市」との区別は他の名における相違よりも印象的に記憶力を支配している。従つて「弘一」と「弘市」との名の区別は、他の全然異つた名の区別よりも印象的であり、「世耕」と「辻原」との氏の区別よりも明瞭に人の記憶に留つている。
(七)原告は昭和三年以来今回に至るまで和歌山県第二選挙区或いはこの地域を主たる地盤として衆議院議員に立候補すること十回当選すること五回で、九回まで三万票以上の得票があつたのであるが、原告は従来「世耕」の氏が文字からみて珍しく、字画も必ずしも簡単でなく、他に「弘一」と音を同じくする名の候補者がなかつたため、前回までの選挙運動には投票に単に「弘一」と名だけを記載することを強く宣伝要望して来た。従つて米大統領候補アイゼンハウワーを呼ぶに「アイク」の愛称を以てするように、選挙人は原告を呼ぶに「弘一」の略称を以てするに至り、更に「弘一」は即ち原告を指称するものと観念するようになつたのである。
原告が「弘一」の記載は原告を指示するものと主張するのは根拠のないことではない。
(八)被告はその父の名が「正弘」である関係上、幼時から「ひろいち」「ひろちやん」と呼ばれており、「こういち」と呼ばれたことはない。
被告は今回始めて衆議院議員に立候補した者であつて、被告の名が「弘市」であることは被告が選挙運動中ポスター、新聞広告、政見及び経歴放送等でその周知徹底につとめたばかりでなく、和歌山県選挙管理委員会のなす一投票区内三箇所乃至五箇所や投票記載所等における掲示には、「辻原弘市」と記載してあつたから、選挙人は右記載に信をおくのが普通であつて、たとえ地方新聞に「辻原弘一」と記載せられたことがあつたとしても、一般の郵便物におけるあて名の記載や新聞報道の記事と異つて、いやしくも被告に投票しようとする選挙人は被告の名が選挙執行機関の作成した選挙公報掲示に記載せられてある「弘市」であることを確めた上投票に記載するものと推測することは決して不当ではない。
(九)被告の氏「辻原」と原告の名「弘一」とを記載した投票の無効であることは明らかであるにもかかわらず、選挙人があえてこのような投票をした動機は何であるかを考えてみるに、被告の属する日本教職員組合所属教員から被告に対する投票を精神的に強要せられた学童父兄が、原告に対する投票を断念する気になれず、やむを得ずこのような記載をしたものと推測できる。被告の名を「弘市」と記載した投票に、教育程度の極めて低い者が記載したものと認められるものがあることからみても、被告の名の「弘市」であることが選挙人に徹底していたことが知られる。ところが「辻原弘一」と記載した投票は達筆で書かれており、この投票を記載した者が被告の名の「弘市」であることを識別する能力がないとはとうてい考えることができない。この点からみても原告の右主張の正しいことが裏書される。
(十)以上述べたところによつて明らかであるように、(い)「辻原弘一」と記載した投票はもちろん、「弘一」の誤記と認められる(ろ)「辻原弘一」の投票、更に「弘一」を仮名書したものと認められる(は)乃至(ち)の投票、以上二六五〇票と無効とすべきものである。
右の次第で被告の当選は無効であるから、請求の趣旨記載の判決を求める。
(十一)被告の主張に対し次のとおり答えた。
無効票中被告主張の(イ)乃至(レ)の三三五票があつて、その内(イ)乃至(ホ)の六票は被告を指示するものと認むべきこと、その内(ハ)の投票は他事記載があるとすべきでないこと、「辻原弘一」と記載した投票や「辻原弘市」の「市」の字を消してその右側に「一」の字を記載した投票や「世耕弘市」と記載した投票があること、開票の場合に投票の効力を決定するについて使用せられた用紙に「辻原弘一」と記載したものが三ケ村あつたこと及び「辻原光一」と記載した投票が無効と判定せられたもの一票の外、被告の得票として算入せられたもの二票あり、「世耕光一」と記載した投票七二票が原告の得票に算入せられており、同じもので無効とされたものはないことは、これを認める。
しかし(へ)乃至(タ)の投票は(い)乃至(ち)の投票について述べたのと同様の理由によつて無効とすべきものである。(レ)辻原光一について
「光一」は候補者「田淵光一」の名であつて、投票は「光一」という文字を主として解しなければならないから、「世耕光一」と記載した投票が原告を表示するものといえないと同様に「辻原光一」と記載した投票は被告を表示するものとはいえない。
被告の答弁の要旨は次のとおりである。
(一)原告主張の(一)の事実、被告の得票中原告主張の(い)乃至(ち)の二六五〇票があつた事実及び無効票中に原告主張の(A)(B)(C)の三票があつてこれは原告の得票とすべきものであることはこれを認める。
(二)しかしながら右(い)乃至(ち)の二六五〇票は、(三)以下で述べるような理由により被告を表示するものであつて、被告の得票とすべきものである。
そればかりでなく、無効と判定せられた投票中次のように記載せられたもの
(イ) 辻原弘市 二票
(ロ) ×辻原弘市 一票
(ハ) 迷つじ原弘市 一票
(ニ) 辻原引市 一票
(ホ) 引市 一票
(ヘ) つじはら 一票
(ト) ツジラハラ 一票
(チ) ツジハラ。ヒロイチ 一票
(リ) 辻原弘一 三〇八票
(ヌ) 辻原引一 六票
(ル) つじはらこう一 二票
(オ) つじはらこういち 五票
(ワ) 辻原コー市 一票
(カ) 辻原コーイチ 一票
(ヨ) 辻原宏一 一票
(タ) 辻原耕一 一票
(レ) 辻原光一 一票
以上三三五票も前同様被告の得票とすべきものである。
(三)元来特定の人を指表する場合、「音」によるものと「文字」によるものと二つの方法があり、前者は口話の領域で、後者は文の領域で行われた。発生的にみると長い口話の生活の後、口話の記号的表示方法として文字が現われたが、文は言葉の従であつた。今日の日常社会生活においても依然として口話は広い領域を占めているが、社会生活の複雑多様化に伴い文の領域は拡大しその重要性を増すに至り、文は言葉の従であるとの原則は必ずしも貫くことができなくなつた。そこで固有の氏名を表示する場合、音、文、意の三要素とも正確に表示されているものは、正則的表示であつて確定的表示力を有することはいうまでもない。しかし氏名には固有名詞に独特の称呼があるため、他人が文字によつてこれを表示する場合、音、文、意の三要素とも正確であることを期し難いこともあるが、右三要素の一又は二を欠く変則的表示によつても推定的表示力を有することができる。変則的表示には法則的推理による補足的判断を加えることによつて同一性の認識に到達できるのである。
変則的表示の類型中「当て字」と「誤記」とは区別される。誤記は正則的表示の一要素である文を潜在的には認識対象としながら表示上書き誤るもので、その表示面においては正則的表示のいずれの要素も具有しない。当て字は正則的表示の文を認識対象とせず音の面からほしいままに文を当てるもので、音に則した文である点において、誤記に比し、より法則的であるということができる。
(四)氏及び名が一体として表示されているときはその有機的一体が氏名表示としての意味を持つものであるから、氏及び名を個々に分離してその表示力を独立して解釈すべきものでなく、氏及び名の総合的一体としての表示力が解釈せられなければならない。投票において候補者の氏名を記載するということは、氏と名とを個々に分離して独立して解釈すべしとするものでないことはもちろん、氏と名の表示力を必らず均等に評価しなければならないということを意味するものではない。
投票における氏名の表示がその表示力を有するかどうかは、まずその記載自体について、氏名解釈上の経験則に従つて検討せらるべきものであることはいうまでもないが、記載上これを確認するに当つて、広く表意環境上の資料によつて投票者の意思を探究し、その表示力の比重がいずれに指向するかの蓋然性を相対的且つ客観的に判定し、可及的に救済せられなければならないことは、民主政治における選挙制の当然の要請である。氏名の表示において解釈せられるべき意思がもし表示自体に閉ぢこめられた意思に限定されるならば、そこに探求せられるべき意思は表示自体以外には何物もなく、従つてそこでは一切の不完全表示はその表示力を否認せられ、ただ正則的表示のみが是認されることとなり、その不当なことはいうまでもない。
一の氏名中に二人の氏と名とを混記したものは一投票中に二人以上の氏名を記載したものとして無効であり、表示氏名の該当者が二人以上あるものは何人を記載したかを確認し難いものとして無効であるが、前者は氏名が分裂的に記載せられた場合であるに対し、後者は氏名が一体的に記載せられた場合である。それ故一体的に記載せられた氏名の総合的表示力が個別的に指示力を有する場合は、表見的にはたまたま混記の現象を呈しても、それは概念上真正混記でなく、不真正混記というべく、真正混記以前の段階にあるものといわなければならない。
(五)そこで(い)乃至(ち)の投票及び(イ)乃至(レ)の投票における氏名表示が被告「辻原弘市」の一体的表示であるか、それとも被告「辻原弘市」と原告「世耕弘一」の二人の氏名の分裂的表示であるかを検討してみよう。
原告は「こういち」と読める名を表示したものは総て原告の専有に属するように主張するけれども、現在わが国において一般に特定人を指称するのに氏を以てするのは社会通念であり、名を以て称するのは親族友人等極めて限られた者の間に対等観に立つた場合である。投票のような公式の場合に単に名のみを記載することは、まれにしか見られない。まして「世耕情報」を以て知られている原告のような有名人については殊にそうである。現に「弘一」「こういち」と単に原告の名のみを記載した投票は、文字能力の極めて低いと認められる者の記載したものであつて、しかも同選挙区中僅かに二票しか存しない。「辻原弘一」と氏名が一体的に表示されているのに、名の「弘一」を氏の「辻原」から強いて分離し、それぞれ独立的に解釈しようとする原告の主張は採り難い。
元来被告の名「弘市」は「ひろいち」とも「こういち」とも読むことができ、そのいずれに読ませるかは、単に命名者の指定に過ぎないから、その指定を知らない第三者が「弘市」の文字を「ひろいち」「こういち」の二様に読むことあるのは、あえて奇とするに足りない。
被告は少年時代から周囲の人々によつてその名を正しく「ひろいち」と称えられること少く、学生時代においても、職場においても「こういち」と呼ばれることがむしろ常態であつて、「弘一」と書かれたこともしばしばあつた。今回の選挙に際しても、新聞記事において被告の名を「弘一」と記載したことは度々あり、開票の場合に投票の効力を決定するについて使用せられた用紙に「辻原弘一」と記載したものが三ケ村あり、更に宮内庁式部職から衆議院議員としての被告に対する案内状のあて名に「辻原弘一」と誤記している事実によつても、いかに被告の名が「弘一」と誤られ易いかゞ明らかとなろう。
選挙人中被告の名の「弘市」であることを正確に認識しない者があつたことは、「辻原弘一」と記載した投票や、「辻原弘市」と一旦記載した上「市」の字を消してその右側に「一」の字を記載した投票があつたことでも解るし、反対に原告の名を正確に記載しない者があつたことは「世耕弘市」と記載した投票があつたことで判明する。
被告の名が二様に読まれることから、被告の氏の下に「ひろいち」「弘一」「ひろ一」「宏一」「広市」等と記載した合計二、七七六票と、「こういち」「好一」「幸一」「孝一」「光一」等と記載した合計一一三票との二種類の投票がみられるのは偶然でない。
原告は、「世耕こういち」「辻原こういち」「田淵こういち」と氏名の表示せられた投票をそれぞれ原告、被告、田淵光一の投票であることを認めているのであるが、これは氏名を一体的に解釈したものに外ならない。そうすると「世耕こういち」に限らず一歩を進めて「世耕」の氏の下に「弘市」「好一」「幸一」「公一」「孝一」「光一」の名の記載せられたものは氏名一体的解釈により原告の投票と解すべく、同様に「辻原」の氏の下に「弘一」「好一」「幸一」「孝一」「光一」の名が記載せられたものも氏名一体的解釈により被告の投票と解しなければならない。
(六)原告主張の(い)乃至(ち)の投票について
(い) 辻原弘一
「弘一」は「ひろいち」と読んでも「こういち」と読んでも被告の名の「弘市」と音が通じ、たゞ文字記載上「市」に対して字劃も簡単に普遍的な「一」を当てたに過ぎず、その氏の「辻原」と氏名一体的に表示せられたこの投票が「弘市」の変則的表示として被告を指示するものであることは、既に述べたところにより明らかである。
(ろ) 辻原引一
「引」が「弘」の誤記であることは原告も認めるとおりであつて、これが被告を指示するものと認むべきことは前同様である。
(は) 辻原こいち
(に) 辻原コイチ
(ほ) 辻原コー一
ツジハラコー一
(へ) 辻原コ一
(と) つじはらこ一
(ち) ツヂハラコ一
「弘市」の二様の読み方「ひろいち」「こういち」の内、四区節からなる「ひ・ろ・い・ち・」よりも三区節からなる「こうい・ち・」の方が発音上容易なため、被告の名の固有の読み方を知らない第三者によつて後者の選ばれる可能性が多い。更に「弘市」を「こういち」と呼びならはすと、「いち」という音に対して「一」の字を当てるようになる。これらの投票は結局「辻原こういち」と記載せられた投票(原告はこれを被告の得票から除外することを主張しない。)と同一類型に属し、氏名の一体的な表示によつて「弘市」の変則的表示として被告を指示するものと認むべきである。
(七)被告主張の(イ)乃至(レ)の投票について
(イ) 辻原弘市
被告の氏名を正確完全に記載してあつて、検票の際誤つて無効票に混入したものと考える外はない。
(ロ) ×辻原弘市
第一字は明らかに「辻」の誤字である。
(ハ) 述つじ原弘市
氏名の上に記載せられた印は書き誤つて消したものかどうか不明であるが、他事を記載したものとは認められない。
(ニ) 辻原引市
「引」は「弘」の誤字である。
(ホ) 引市
「引」は「弘」の誤字である、候補者中名を「弘市」と呼ぶものは被告以外にないから、被告の得票と認むべきである。
(ヘ) つじはら
被告の氏を平仮名書したものであり、候補者中氏を「辻原」と称するものは被告以外にないから、被告の得票と認むべきことは明らかで、検票の際誤つて無効票に混入したものであろう。
(ト) ツジラハラ
「ツジハラ」の誤記と認むべく、前同様被告の氏を記載したものである。
(チ) ツジハラ・ヒロイチ
氏と名の間の・印は氏と名との別を明らかにしようとした記載に過ぎず他事記載と認むべきものではない。
(リ) 辻原弘一
(ヌ) 辻原引一
(ル) つじはらこう一
これは(六)で(い)(ろ)(ち)について述べたとおりである。
(オ) つじはらこういち
(ワ) 辻原コー市
(カ) 辻原コーイチ
被告の名「弘市」を「こういち」と読み、(ワ)は「市」をそのまま「市」の字を記載したが、(オ)(カ)は「市」を仮名書きしたものである。
(ヨ) 辻原宏一
被告の名を「ひろいち」と読み、その音に通ずる「宏一」の字を当てたものである。
(タ) 辻原耕一
被告の名を「こういち」と読み、その音に通ずる「耕一」の字を当てたものである。
(レ) 辻原光一
無効と判定せられた投票中「辻原光一」と記載したものが一票あるが、同じものが二票被告の得票に算入せられている。一方「世耕光一」と記載せられた投票七二票が原告の得票に算入せられており、同じもので無効としたものはない。ところで候補者中「田淵光一」という者があつて、「光一」は田淵候補の固有名ではあるが、これは同時に被告にとつても、原告にとつても、その固有名の当て字による変則的表示であるから、それぞれその名とつながる氏と一体的にその表示力を解釈するとき、たとえたまたまそれが他の候補者の名の正則的表示に合致していてもその名の上に記載せられた氏によつて被告又は原告を指示するものと認めることができる。
今仮に「辻原義友」「世耕義友」と記載した投票があつたとすれば、候補者中「町田義友」という者があつて「義友」は町田候補の固有名に完全に合致するが、これは被告にとつても、原告にとつても、その固有名の「弘市」又は「弘一」の正則的表示の音、文、意の要素のいずれとも全然法則的関連性がない。従つて「辻原義友」「世耕義友」という表示は、氏名の一体的解釈の原則によつても、被告又は原告を指示したものか、町田候補を指示したものか、その表示における比重を決しられない。この場合こそ真正の混記又は特定不能とすべきものである。「辻原光一」と記載せられた投票は、右の場合と異り、その氏によつて被告を指示したものと認めなければならない。
(八)以上述べたとおり、(い)乃至(ち)及び(イ)乃至(レ)の投票は、氏と名とを分離することなく、氏名が一体的に表示せられたものとみるべきで、被告の氏「辻原」と、その名「弘市」の変則的表示が記載せられたものであるから、不真正混記であつて真正混記でなく、被告を指示する得票と認むべきことは疑の余地がない。従つて被告の当選は無効であるから主文と同旨の判決を求める。
証拠として、原告は、甲第一号証、第三乃至第五号証、第六号証の一、二、第七乃至第九号証、第十号証の一の一乃至十六、同号証の二の一乃至七、同号証の三の一乃至九、同号証の四、五の各一、二、同号証の六の一乃至三、同号証の七、八の各一、二、同号証の九の一乃至三、同号証の十、十一、第十一乃至第十五号証、第十六号証の一乃至三、第十七号証の一乃至五、第十八号証の一乃至六、第十九号証、第二十号証の一乃至四、第二十一乃至第二十九号証、第三十号証の一、二、第三十一乃至第三十六号証及び検甲第一号証の一、二を提出し、検証の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。被告は、乙第二、第三号証、第五乃至第七号証、第九、第十号証の各一、二、第十一号証、第十二号証の一、二、第十三乃至第四十一号証、第四十二、第四十三号証の各一、二、第四十四号証、第四十五号証の一、二、第四十六、第四十七号証、第四十八号証の一、二、第四十九乃至第五十六号証を提出し、検証の結果を援用し、甲号各証の成立を認め、検甲第一号証の一、二が原告主張のような写真であることは認めると述べた。
理由
(一)昭和二十七年十月一日行われた和歌山県第二選挙区における衆議院議員選挙において、原告、被告、早川崇、楠山義太郎、町田義友、田淵光一外五名が立候補したところ、開票の結果、その得票数は、早川崇三四、一五八票、楠山義太郎三〇、二九七票、被告二七、四一〇票、原告二七、三二七票として、和歌山県選挙管理委員会は同月四日早川崇、楠山義太郎、被告の三名を当選人、原告を次点者と決定し、即日その旨の告示をしたこと、被告の得票中に原告主張の(い)乃至(ち)の二六五〇票があること、無効と判定せられた投票中に被告主張の(イ)乃至(レ)の三三五票があること及び無効と判定せられた投票中に原告主張の(A)(B)(C)の三票があつて、これは原告の得票とすべきものであることは当事者間に争がない。
原告が右当選人決定の告示の日から三十日以内に本訴を提起したことは記録上明らかである。
(二)投票において被選挙人の氏、名ともに正確に記載せられることは最も望ましいことではあるが、たとえ候補者の氏のみ或いは名のみ記載せられていても、又は氏名が不正確に記載せられていても、投票の記載によつて投票者の意思が明白である限りその投票を有効としなければならないことはいうまでもない。
固有の氏又は名が正確に記載せられていなくても、或いは文字を誤記したものと認められ、或いは本来の文字と音を同じくするためほしいままに他の文字を当てた、いわゆる「当て字」と認められる場合には、右の氏又は名を指示したものと解するのを相当とする。投票に記載せられた文字が甲候補者の氏又は名に合致するときは、乙候補者の氏又は名の当て字と認める余地はないと、一般的に立論することはできない。
甲候補者の氏が正確に記載せられ、その下に記載せられた名が甲候補者の名を不完全ではあるが表示したものと認められる場合には、たまたまそれは乙候補者の名と合致していても、甲の氏と乙とを混記したもの、或いは甲、乙のいずれを記載したかを確認し難い無効のものと解すべきではなく、甲に対する有効投票と解しなければならない。これは甲候補者の氏の下に記載せられた名が不完全ながら甲の名の表示と認められるから、氏名を一体的に観察してそういうのであつて、その名が全然甲の名の表示と認められないような場合までをいうのではないから、投票に記載せられた氏を名よりも重しとするのではなく、又氏を誤記することはないが名を誤記することはあると一般的に断定する趣旨でもない。
(三)原告は、原告の政治経歴や従来の選挙運動の結果選挙人は「弘一」はとりもなおさず原告を指称するものと観念するようになつたと主張するけれども、選挙人の間にこのような観念が確立されたことを認めるに足りる証拠はない。又日本教職員組合所属教員の選挙運動の結果、学童の父兄である選挙人が投票に原告の名を記載する意思で「辻原」の氏の下に「弘一」と記載したものと推断することはできない。
一方成立に争のない甲第一号証によると和歌山県選挙管理委員会の発行した選挙公報には被告の氏名を「辻原弘市」と記載してあることが認められ、成立に争のない甲第三十五、第三十六号証によると政見放送及び経歴放送において被告の氏名を「つじはらひろいち」と放送したことが認められ、成立に争のない甲第十一、第十二号証によるとポスターに「辻原弘市」と記載したことが認められ、成立に争のない甲第十三、第十四号証、第十六号証の一乃至三、第十七号証の一乃至五、第十八号証の一乃至六、第十九号証、第二十号証の一乃至四、第二十一乃至第二十八号証によると新聞広告や新聞記事に「辻原弘市」の記載のあることが認められるけれども、一面、開票の場合に投票の効力を決定する際使用せられた用紙に「辻原弘一」と記載したものが三ケ村あつたこと、「辻原弘一」と記載した投票や、「辻原弘市」の「市」の字を消してその右側に「一」の字を記載した投票があることは当事者間に争なく、成立に争のない乙第二、第三号証、第五乃至第七号証、第五十乃至第五十六号証によると新聞記事に被告を「辻原弘一」と記載してあり、成立に争のない乙第九、第十、第十二号証の各一、第十一号証、第十三乃至第十九号証、第二十一乃至第四十一号証、第四十二、第四十三号証の各一、二、第四十四号証、第四十五号証の一、二、第四十六、第四十七号証、第四十八号証の一、二によると被告に対する郵便物のあて名に「辻原弘一」と記載してあることが認められる。右事実によつて考えると、被告は第三者からその名を「弘一」と間違えられる場合が少くなかつたもので、総ての選挙人が選挙公報、新聞広告、掲示、ポスター、放送などにおける被告の名に充分の注意を払つた上投票するものとは限らないから、投票において被告の名を誤つて「弘一」と記載することのあるのは当然考えられるところである。
(四)被告の得票に算入せられた原告主張の(い)乃至(ち)の投票について順次考察しよう。
(い) 辻原弘一 二、五一五票
「弘一」だけで原告を指称するものということのできないこと及び被告が日常その名を「弘一」と間違えられることの少くなかつたことは前に説明したとおりであり、「弘一」は「ひろいち」と読んでも「こういち」と読んでも被告の名の「弘市」と同じ音であり、「市」よりも字劃が簡単で普遍的な「一」の字を当て字として使用したもので、不完全ながら被告の名を表示したものと認められるから、これと被告の氏として正確に記載せられている「辻原」とを全体として観察するときは、「辻原弘一」という記載は被告を指示するものと解するを相当とする。名の「弘一」は被告の名を不完全ながら表示したものと認められるから、たまたまそれが原告の名と一致しておるからといつて、「辻原弘一」と記載せられた投票は、被告の氏と原告の名とを混記したもの、或いは原被告のいずれを記載したかを確認し難い無効のものと解すべきではない。従つて(い)の投票は被告に対する有効投票と認める。
(ろ) 辻原引一 九八票
「引」が「弘」の誤記であることは当事者間に争がないから(い)と同様被告に対する有効投票である。
(は) 辻原こいち 三票
(に) 辻原コイチ 二票
(ほ) 辻原コー一
ツジハラコー一 九票
(へ) 辻原こ一 六票
(と) つじはらこ一 一票
(ち) ツヂハラコウ一 一六票
「弘市」は「ひろいち」「こういち」と二様に読めるが、四区節の前者よりも三区節の後者の方が発音が容易なため被告の名を固有な読み方を知らない第三者は「こういち」と読むことが多い。更に「こういち」を誤つて「こいち」「コイチ」と記載したり、「いち」という音に対し「一」の当て字をし「コー一」「こ一」と記載するようになる。従つてこれらは(い)の投票について述べたのと同様の理由により被告に対する有効投票と認めなければならない。
(五)次に無効と判定せられた被告主張の(イ)乃至(レ)の投票について順次考察する。
(イ) 辻原弘市 二票
(ロ) ×辻原弘市 一票
(ハ) つじ原弘市 一票
(ニ) 辻原引市 一票
(ホ) 引市 一票
右(イ)乃至(ホ)の投票が被告を指示するものと認むべきこと、その内(ハ)の投票は他事記載があるとすべきでないことは当事者間に争がないが、(ロ)の投票は「辻原弘市」の記載の上部に少し離れて×印の記載があり、これは「辻」の字の一部とは見られず、従つて「辻」の字の誤字と認められず、又「辻」の字を書きかけて消したものと見られず、その他無意識につけた汚点と認められないから、この投票は公職選挙法第六八条第一項第五号にいわゆる他事記載があるものと認める外はない。従つて(イ)(ハ)乃至(ホ)の投票は被告に対する有効投票と認めるが、(ロ)の投票は無効である。
(ヘ) つじはら 一票
被告の氏を平仮名で記載したもので、候補者中氏を「辻原」と称するものは被告以外にないから、被告に対する有効投票である。
(ト) ツジラハラ 一票
「ツジハラ」の誤記と認むべく、前同様被告の有効投票と認めなければならない。
(チ) ツジハラ・ヒロイチ 一票
氏と名の間の・印は氏と名を区分するために附したに過ぎず、意識的な他事記載と認めるべきものではない。被告の有効投票であることは明らかである。
(リ) 辻原弘一 三〇八票
(ヌ) 辻原引一 六票
(ル) つじはらこう一 二票
右の投票が被告の有効投票であることは(四)で(い)(ろ)(ち)について説明したところと同様である。
(オ) つじはらこういち 五票
(ワ) 辻原コー市 一票
(カ) 辻原コーイチ 一票
被告の名「弘市」を「こういち」と読み(ワ)は「市」をそのまま「市」の字を記載したが、(オ)(カ)は「市」を仮名で記載したものであり、いずれも被告の有効投票と解する。
(ヨ) 辻原宏一 一票
被告の名を「ひろいち」と読み、その音に通ずる「宏一」の字を当て字として使用したもので、被告を指示したものと認むべく、被告の有効投票と解する。
(タ) 辻原耕一 一票
被告の名を「こういち」と読みその音に通ずる「耕一」の字を当てたものであつて、被告の有効投票である。
(レ) 辻原光一 一票
「辻原光一」と記載した投票が無効とせられた一票の外、被告の得票として算入せられたもの二票あり、「世耕光一」と記載した投票七二票全部が原告の得票に算入せられていることは当事者間に争がない。「光一」は候補者田淵光一の固有名ではあるが、被告の名「弘市」や原告の名「弘一」と音を同じくするため、その当て字として使用せられたものと認められ、その上に記載せられた「辻原」或いは「世耕」とを一体として観察するときは、「辻原光一」の記載は被告を指示するものと解すべきこと、「世耕光一」の記載は原告を指示すると認むべきものと同様であつて、たまたま「光一」が田淵候補の名に合致していても、その上に記載せられた氏を無視して田淵候補に対する投票と解することはできない。従つて「辻原光一」と記載した投票は被告に対する有効投票である。
以上(イ)(ハ)乃至(レ)の三三四票は無効と判定せられたけれども、いずれも被告に対する有効投票と解しなければならない。
(六)そうすると、被告の得票に算入せられた(い)乃至(ち)の二六六五〇票は無効でなく被告の有効投票と認むべく、無効票中(イ)(ハ)乃至(レ)の三三四票は被告の有効投票と認めなければならないから、被告の有効投票は二七、四一〇票に右三三四票を加えた二七、七四四票となり、一方原告の有効投票は二七、三二七票に無効票中原告の有効投票と認むべき(A)(B)(C)の三票を加えた二七、三三〇票となり、被告の有効投票は原告の有効投票より多数となる。従つて被告の当選を無効とする原告の本訴請求の失当なことは明らかであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 大野美稲 判事 熊野啓五郎 判事 村上喜夫)
判決中原告主張の(ニ)ノ(A)
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判決中被告主張の(ニ)ノ(ロ)
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判決中被告主張の(ニ)ノ(ハ)
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